2019年1月27日の私へ
2019年1月27日17時 それは私にとって人生最大の転機が訪れた瞬間
私は小学2年生から大学1年生の今までずっと嵐が好きです。自分でも好きになった時のことを鮮明に覚えています。つまり自分の記憶のある頃はすでに嵐が好きで、私の記憶の初めは嵐から始まっているのです。それくらい長い時間を過ごしきたんだな…………と、文字に起こしてまじまじと感じてしまいます。私は元々、5人全員が大好きで、担当は決めていませんでした。小学5年生の時、再放送のやまたろを見たことをきっかけに二宮担になりました。
よく「嵐好きなんだよね〜」と言われると、どうせ軽いんだろ……………と思う自分がいました。私は他の誰よりも「嵐が大好き」という自信がありました、そして本当に誰よりも嵐が大好きでした。自分の好きという気持ちが誰にも負けたくないくらい大好きで、よくあるオタクのマウントとかそーいうレベルではなくて、本気で大好きで大好きでたまらなかった。そして好きであることが私の自慢でした。私の人生に誇れるものなんてなにもないけど一つ言えるとしたら「本気で嵐を追ってきたこと」
2016年以降 顕著に数字に出るようになった。CDの売り上げ、DVDの売り上げ、視聴率………今だから言える あの頃は絶対に嵐が落ちてるわけない 意地でも信じたくなかった でも確実に本気で追いかける人は減ってしまっているんだと
だからこそなのもしれない あの時もどんな時でも「本気で嵐を追いかけていて良かった」と思えるのは その時を知らない人やその時冷めていた人へのマウントなのかもしれない でも私は思ってしまう 私はそれでも、時代の波に乗らず、ずっとずっと嵐だけを、何も知らずに、嵐だけが大好きだったことを。でもそれほど好きだった。嵐は、嵐だけしか見えないようにする力を持っている、それに引き寄せられ続けた私はラッキーだったのかもしれない。それはのちの私にとってとても幸福なことでもあり、苦しめられることにもなる。
ここまで読んできて「なにこいつめっちゃマウントとるやん」と思ってると思いますが、本当にそれくらい大好きで愛が止まらなくて、自分の人生を一緒に歩んできたのは嵐なんです。
あの日は andmore の申し込み日が近づいていて、友達と1時間近くコンサートどうするか悩んで楽しみだねと連絡を取っていた
時が止まったと思った 本当に生きている意味がないと思った 頭が真っ白になった どんな言葉を並べてもあの時の絶望感を表現する言葉はない それくらい自分の中の何かが止まった 嵐が話している動画を再生して携帯を投げたことを今でも覚えている
こんなん見れるかよ………………
淡々と話す嵐を見ても何も信じられないし信じることすらもわからなかった 次の日、たくさん報道されても、何も信じられなかった 次の日、翔さんがZEROで復活あると言ってくれたあの瞬間 ふわっと何が浮いた気がした 私の知ってる大好きな嵐がまだいる そう思った
とにかく信じられないという気持ちが大きすぎて、そしてまだ2021年なんて先だよ という余裕が私を救ってくれた
何度も活動休止に向き合おうとしたけど、どうしても実感は湧かないし嵐はいつも以上にいつもの嵐で、そんなことを感じさせないのが嵐らしくて好きだったりした
そして私はは心に決めた「何があっても嵐だけを必死に、2年間追い続ける」
でもそれは守れなかった 文字に起こすとなおさら悔しかったりする 何が悔しいのかわからないけども 変わってしまった自分に1番悔しいのかもしれない
私は2019年の11月になるまでにTravis JapanとジャニーズWESTに出会います でも今思えばそんなのちっぽけで、私の中で「嵐より上なんてありえないから」優先順位はまだまだ私の中で嵐が1番でした。
2019年11月12日 自担が結婚した
意味がわからなかった。悲しみよりも辛さよりも、怒りが強かった。何を考えているのか、全くわからなかった。二宮くんが何も考えているのか分からないことにも、36歳男性が結婚しただけという事実にも、私はいろんな事にむしゃくしゃしてしまった。そして何よりも大好きな二宮くんが叩かれている事に耐えられなかった。私の中でどんどん何かが崩れていった。否定できない事実に、みんな二宮くんが大好きで、行き場のない気持ちに、大好きであるが故に全てを理解してあげたい気持ちに、何もかも、二宮くんからシャットアウトされてしまった気がした。大好きなのに。大好きだから。理解したかった。自分の知らない二宮くんが存在することが嫌だった。私は2日後にコンサートで二宮くんに会いました。それが活動休止前に最後に会った嵐です。忘れません。二宮くんが「今日はみんなが優しく見えました」と言ったことを。誰よりも、誰よりキラキラしていてアイドルである二宮くんをすきになれてよかったと心の底から思った。でもそれは現場に入れたたった何万人のファンにしかわからないことだった。一度負った傷はなかなか癒えなかった。その事実にまた苦しめられた。そうして、私は初めて思いました「好きにならなきゃ良かった」と。
2020年1月 櫻井翔くんに熱愛報道が出た 恨んだ
二宮くんが結婚した時にあんなコメントを出したのに もう無理だと思った
逃げるように他のグループを見るようになった もう嵐を見ても何も信じられなくて、私の大好きな嵐は偽りで演技でしかないのかもしれない、耐えられなかった そしてそれを信じたくなかった
でもストリーミング再生のために音楽番組にたくさん出てる嵐を見ると
「やっぱり嵐は嘘じゃない」「アイドルしている嵐が好きだ」「でももう少しでも見れなくなる」
色々な感情が複雑に混じって、嵐を見てもつらくなるだけだった
そしてそれを言い訳に見ない自分にも腹が立った
時期が近づくにつれて、嵐を見るとますます胸が痛くなった
大好きすぎるから見れない 現実を受け入れたくないから見れない つらくて見れない たくさん逃げてしまった
あんなに掛け持ちが嫌いで逃げる奴が嫌いだった自分が ついに嵐を見れなくなってしまった
そして、今日 今日という日まで逃げに逃げまくった。2020年12月24日 あと7日。あと1週間。あと1週間なのに、なんの実感もない。そのまま終わってしまうのだろうか。本当に嵐は終わるのだろうか。本人たちが実感ないというのだから、私たちもなくて当然なのかもしれない。
あと7日。何をして過ごそう。
この2年という猶予を与えてくれた嵐には溢れんばかりの感謝を伝えたい
猶予があって、終わるが見える方が辛い。そう思ったこともあった。だけど、2年という期間で私にとってどれだけ嵐が大切で、かけがえのない存在だということを証明してくれた。
何もなく事務所を去っていくタレントを見るたびに、嵐ほど真剣に向き合ってくれるアイドルはもういないんだろうなと思わされ、本当に大きな決断をしてくれたんだなと思う
嵐は大きくなりすぎて、期待されすぎて、ちょっと休憩が必要
そう思うとすごく気が楽で、なんとも嵐らしいと思ってしまう
私が嵐を好きな大きな理由の一つは「終わりが見えない」ところだった
どんな時でもずっと上を目指し続けてる姿勢に、未来を感じているのが好きだった 何年経っても期待値を超えてくる嵐が大好きだった
思えば、5×20 初日 初めて5×20を聴いた時 「嵐はもう終わるのかもしれない」そう思った。
怖くて誰も言えなくて、自分の中で押し殺した。
まだ19周年なのになんでこんな歌歌うんだろう…………終わりなんてないよな………… 素直にそう思った。でも「大丈夫、ここにいる」嵐がそう言っているなら大丈夫。そう思いたかった。
何年もトップを走り続けてきて、毎年考えられないほどの期待を背負っている彼らも、やはり人間だった。でもそんなこと、落とそうと思えば落とせる。アルバムだって出さない選択肢があるしツアーをやらない選択肢だってある。
私の中の結論は「華のあるうちに終える」
これが嵐だと思った。大好きな嵐だった。
まさに「宝箱にしまっておきたい」
2019年1月27日の私へ
信じられないようなことがたくさん起きているけど、あなたは嵐について来て後悔はしていないよ
むしろ、他のものを見るたびに嵐のことをもっともっと好きになるよ 嵐以上にアイドルに向き合っていて、アイドルに本気で、メンバー全員を心の底から尊敬し合っていて、お互いの気持ちを汲み取ろうとする優しさがあって、向上心も、おごらない気持ちも、ファンが何よりも大切なことも、5人が1番嵐が大好きなことも、何もかも、全てが、嵐が1番だと思えるよ、嵐のパフォーマンスや、嵐の仲の良さが大好きなあなたは、それよりもっと嵐の強い部分を見せつけられるよ あなたにとって嵐以上はない もっとそう思えるよ それが辛いけど でも嵐を好きになったことは間違えではないよ だから頑張らなくてもいいから無理しなくてもいいから 嵐のことを信じてあげてください
これから私はきっと嵐以上に出会うことはないしむしろ出会いたくないけども、嵐が大切にしている後輩たちに想いを寄せたりもする
言いたいことがありすぎてうまくまとまらないけど、
嵐にとって私たちファンにとって素敵な日々を過ごせますように。
大好きです。